8R-1Z合同例会 平成19年5月6日(日)18:30 城西館にて
昔から「人生五十年」といわれています。 私は、この五十年の意味を、現役として社会に貢献できる期間・すべき期間(概ね20歳位から70歳位まで)と解釈しています。 私の人生は、第二の故郷である高知での裁判官生活がスタートであり、第一の故郷である松山での弁護士生活がゴールになりそうです。 昭和40年4月、28歳で裁判官に任命され高知地方裁判所に赴任したのが高知との関わりの最初でした(昭和43年3月まで)。高知へ二回目に赴任したのは、18年を経過した昭和61年4月で、雪国の鳥取から山(中国山脈)を越え、海(瀬戸内海)を渡り、また山(四国山脈)を越えてのものでしたが、5年後の平成3年4月に大阪地方裁判所に転出しました。 その後、平成9年11月1日に松山地方裁判所勤務を最後に裁判官を退官し、公証人として三度目の高知での生活が始まったのです。裁判官時代は、3年ないし5年の任期で転勤を反復してきましたが、公証人をやっている間は、10年近く引っ越しをしない暮らしが出来た訳でそれなりに楽なものでありました。 平成18年10月、その公証人も70才の定年を迎え、やっと第一の故郷へ里帰りができ弁護士としての最後のご奉公をすることになりました。 ちなみに「鏡」は裁判所の記章、「桐」は法務省の記章、「ひまわり」は弁護士の記章であります。 裁判官の仕事も公証人の仕事も弁護士の仕事も、その大部分が、いずれも人間関係の歪み等に起因する法的なトラブルがテーマであります。 嬉しい話も愉快な話も滅多に聞かないし、幸せな人にも殆どお目にかかれることはありません。裁判官・公証人・弁護士の仕事は、よそ目(いずれの仕事もホワイトカラーで油に塗れることはない。)とは別に、人間関係の専ら社会的病理現象を扱うまことに因果な商売であります。 仕事の個々的な具体的な内容は、いずれもプライベートなものであるから、此処で開示することはできませんが、一般的・抽象的には、その中のエッセンスはやはり人生の指針になりうるものと思います。 スーダラ節の「分かちゃいるけど止められない。」ではないが、永い人生を理性のみで恙なく過ごすことは、「至難なこと」というよりも「不可能なこと」でしょう。 私の職業人生は、悲しいかな、その人生の中でつまづき失敗した人達が、入れ代わり立ち代わり現れました。なかには、もちろん、どうしようにもならない人もいました。 しかし、その大部分の人達は、私共と同じレベルの普通の人達で、その人達の日常生活の歯車の僅かの狂いが、そしてそれを隠蔽・糊塗しようとするなどしてだんだん取り返しの付かない事態に追い込まれて行った人も珍しくはありません。 永い人生の中では、いろいろなターニングポイントがありますが、一般論としては、どうせしなければならないことは、これを先延ばししても、それは単なる時問の浪費で、あまり良い結果は出ません。 熟慮して結論を導いた事柄は、即刻、勇猛に断行する他はないのです。(尤も、離婚の案件は別で、これはできるだけ先延ばしをして、ゆっくり本来の解決への道をゆったりと進むのがベターの場合が多いようです。) 私の職業上のこのような経験は、このようなつまづき失敗した人達の失敗を糧(教訓)に、私自身は失敗を少なくするための道標に、他の人には、失敗のないようにするための道標に、役立てることができればと思っております。